<ギロチン>
死刑といえばギロチン。(正式名称は「正義の柱」)
最初の発想は処刑される物に対する思いやりから出発した。
ギロチンの生みの親となるギョタンの母は臨月のある日、広場で行われていた車裂き刑の光景にショックを受け、彼を早産した。
その体験が彼の行動の原点になっているといわれている。
1789年12月1日(フランス革命の年)ギョタンは断頭台に関する法案を提出した。
「犯罪者は斬首される。斬首は単なる機械の操作によって行われる。」
これにギロチンを用いることで、「うなじにかかるさわやかな風のような刺激だけで、苦しめる時間を与えず首をとばす」愛情に満ちた(笑)処刑が実現することになる。
一見どの処刑法も苦しみに変わりがないように思えるが、他の処刑法(火あぶり、四つ裂き、車裂き)より斬首刑のほうが苦しむ時間がはるかに短く済むのである。
さらに当時、貴族には斬首によって処刑される特権があった。
(平民は絞首刑、車裂き刑、火刑であった。)
と言うことで、革命により処刑の苦しみも平等化されたわけである。(爆笑)
ともあれ、ギョタンの意見が政府に採用され、外科医学アカデミーのアントワーズ・ルイの設計により、ギロチンが誕生した。
「ジレット」(受刑者の首の上に梁をたて、ひものついた刃を梁の上まで上げ、落とす。)に比べ、刃の形が水平から斜めになり、柱の高さが4.54メートルに伸ばされ、刃を滑らす溝は鋳銅製になり、受刑者の首押さえが完全なものになった。
(建材は樫木、12段の階段つき)
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