「吊るし責め」は、日本でも江戸時代行われていた。
まず両手を後手に、それぞれの腕のひじがつかめる位置で重ねる。
その腕に筵を巻きつけ、麻縄で2箇所を縛り、縄尻を腕から胸を巻いて背後に廻し吊りあげた。
腕から胸に縄を廻すのは、過度の身体破壊を防ぐためで、(体重を分散させる)さらに責めの時間は2時間以内と決められているなど、結構受刑者のことを考えた責めである。
でもまあ、十分苦しいのだが。
1769年にオーストリアの女帝マリア・テレジアが公布した審理手続の規定、「テレジア刑法」に、「振子」を使った「吊るし責め」の挿絵が載っているが、この絵の「振子」とまったく同じ物が、
1960年まで、トスナカの農園で荷の吊り上げに使われていた。(実物も残っている)
もともとは農業用に使っていた「振子」を、拷問用に流用したのだろうか?(それとも逆?)
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