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鋸引刑

江戸時代には、武士、庶民の別なく主殺しに適用する極刑として執行され、享保6年「公事方御定書」に、その執行方法が定められている。

「鋸引刑」の執行方法(公事方御定書より)
1,朝五つ時、牢屋敷から刑吏が付き添って囚人を出し、その後、非人が囚人をもっこにのせて担ぎ、晒し場に向かう。
2,囚人を「穴晒し箱」に入れ、逃亡を防ぐために、首枷板をはめ、その板の上に俵6個を置く。
3,刑吏が、囚人の両肩に浅い刀目(刀傷)を入れ、流れる血を用意された竹製の鋸に塗りつけ、立てかけておく。
4,夕七つ時になると、再び囚人を非人が担いで牢屋敷に戻す、という晒しを二日間行う。
5,引き廻しの上、刑場にて「磔」を行う。

江戸において「鋸引刑」が行われたのは、日本橋南詰めの広場で、江戸城に近い河岸にあたる。
「鋸引刑」に付随する「晒し」は「穴晒し」と呼ばれる形式で、囚人を地面下に埋めた「穴晒し箱」に入れ、首だけを地上に出して晒す。
「穴晒し箱」という90センチ四方、深さ75センチの木箱(四方の囲い、底板には、90センチの松板2枚使用、四隅の柱には、9センチ角の角材)の底に、むしろを二枚二つ折りにして敷く。
箱の底から1本の杭を立て、この杭に囚人を後ろ手に縛り付ける。

江戸時代の鋸引刑に使用する「穴晒し箱」

江戸時代の鋸引刑に使用する「穴晒し箱」

刑の工程の一つである「晒し」の際、「通行人で望む者あれば鋸を挽くことを許す。」(公事方御定書より、-つまり、通行人が好きなときに囚人の首を切って良いということ)と定められているが、これは形骸化し、鋸は(竹製ということもあり)儀式的添え物であった。
ところが、慶安年間、「鋸引刑」執行中の死刑囚を実際に鋸を引いた者があったので、幕府はあわてふためいて、その後「鋸刑」は、鋸に血を付けて晒す行程を取りやめ、「穴晒し」(その際、鋸を引くポーズだけ行う)「引き廻し」「磔」という手順に規定を改めることになった。
その後、また鋸に血を付ける行程を復活させたが、実際に鋸を引く者が現れぬよう、同心に見回らせたという。

明治2年(1869)鋸引刑は、晒し刑、引き回し刑とともに廃止された。

鋸引刑2

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