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断首刑(剣、斧)

2,「座った体勢での斬首」
受刑者は、ひざまずくか、しゃがみ、背筋を伸ばし頭を立てて、襟首が処刑人に完全に見えるように顎を引かせ、刑吏は剣を斜め下に振り下ろす。
(手は前で縛られることが多い)
女性の場合、椅子に座らせ縄などで固定し、後部から首を横切りにする。
断首刑(剣)
3,「直立の体勢での斬首」
受刑者は立ったままで、刑吏は剣を水平に振るう。
(手は前で縛られることが多い。)

2と3の方法では、受刑者のある種の協力と、刑吏の高度な技術が要求される。
受刑者が比較的自由に動けるため、受刑者が自らの意志で静止していないと、振るわれた剣が首を正確に捉えることが難しくなるからである。
また、3の方法では、刑吏が高い無理な位置で剣を振るうことになり、確実性が失われるほか、頭蓋や肩を打たれる可能性が高くなり、受刑者にとっても危険に満ちている。
実際、刑罰に従わない受刑者を剣や斧で斬首することはほとんど不可能であると言ってよかった。


スコットランド女王メアリ・スチュワートの処刑
1587年、メアリは旧教徒と結んでエリザベス1世の暗殺を計画し、イングランドの王位を狙ったという嫌疑を受けた。
メアリは裁判によって有罪の判決を受けたが、その処刑は公開されることなく、ノーサンプトン州ファザリンゲイ城の大広間に設けられた処刑場で行われた。

黒の礼服を着たメアリは侍女達を従え、廷臣や聖職者に見守られながら大広間へと入っていった。
彼女はスツールに腰を下ろし、処刑執行令状が読み上げられるのに耳を傾けた後、ロザリオと十字架を取り上げ声に出して祈った。
ブルという名の死刑執行吏がメアリの前にひざまずき、容赦を請い願ったので彼女は許しを与え「さあ、この苦しみをすべて終わりにしてもらいましょう。」と言い添えた。
侍女達が礼服を脱ぐのに手を貸すと、赤いビロードのペチコートと緋色のシルクのボディスーツがあらわになった。
メアリはペチコートを外し、カートゥルの上に緋色の袖のある上衣をまとうと、断頭台の前に置かれたクッションにひざまずいた。
侍女の一人が聖体布を持ってきて三角形に折りたたみ、その布でメアリの顔を覆った。
ブルの助手の一人がメアリの手を脇へ移動させ、断頭台に頭を乗せて祈っている間その手をそっと握っていた。
メアリが祈るのを止めると、ブルは斧を持ち上げて振り下ろしたが、最初の一撃はかろうじて犠牲者の意識は奪ったものの、後頭部をかすめて傷を負わせるに留まった。
ブルが再び斧を持ち上げ勢いよく振り下ろすと、今度はほぼ切断に成功し、僅かに残った軟骨もナイフで切り落とされた。
ブルは伝統にのっとってメアリの首をエリザベス女王に掲げ、「女王陛下万歳!」と宣言した。

やがて遺体は州長官とその息子らによって別室に運び込まれ、待機していた外科医が防腐処理を施した。
メアリの首は丹念に洗われ、ビロードのクッションの上にのせられて中庭を見渡せる窓の一つに置かれた。
中庭では、本当に処刑が行われたかどうかをこの目で確かめようと大勢の人間が集まっていた。

その後、遺体は処刑から7ヶ月あまり経過した1587年8月1日にピーターバラ大聖堂に埋葬された。
しかし、後にイングランド王となったメアリの息子であるジェイムス1世(スコットランド王としては6世)によって、1612年、ロンドンのウェストミンスター寺院に改葬となった。


なお現在、「斬首による公開処刑」を存続させている国は、中東の3カ国のみである。
断首刑(剣、斧)5
斬首の時の剣の振るい方にも、西洋、中国、日本で違いがあるのですね。
ちなみに中国式の場合、剣を振り下ろす際、他のやり方に比べると早くブレーキをかけないと、地面をぶっ叩いて手がしびれてしまい大変なことになるそうです。

ところで、人間の場合斬首による真の死因は、精神的作用によるショック死だそうです。
と言うことは、斬られる痛みを感じる前に死んでいるってことです。
だから、きれいに斬首された人の顔は沈んだ無表情な顔なんだそうです。
(私の描いた絵は苦悶の表情をしていたりしますが(^^ゞこれは演出です。)
実際今回見た資料の写真の死体も皆、驚くほど無表情でした。

「断首刑(剣、斧)」の項は終了です。
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