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絞首刑(絞り首)

「ガロット」の特徴として、絞首刑や断頭台のようにほとんど一瞬で死に至らしめる事なく、処刑する側の思うがままに苦痛を長引かせる事ができるという点があげられる。
犠牲者が微かに息が出来る程度にまで締め上げてからそのまま放置する、などという行為も容易に出来た。
火責めや指締めなどのその他の拷問を更に加えることも可能であり、単純に処刑のための道具ではなく、拷問の補助的な器具としても使用されていた。
処刑や拷問が長時間に渡ると、犠牲者が椅子に座っているため、自分の排泄物にまみれざるおえないというのも、拷問の効果を高める役割を果した。

ガロットは、刑吏にとって負担が少ない器具であったこともあって、(機械式で拷問の加減がしやすい、力が要らないなど)スペイン領の各地(ポルトガル、プエルトリコ、キューバ、フィリピンなど)に広がっていった。
ポルトガルでは、1867年に普通犯に対する死刑が廃止される日まで、ガロットが公式に(?)採用されていた。
(拷問用ではなく、死刑用の器具として)
スペインでは、反対に1870年に定められた刑法で、ガロットによる処刑が正式に採用された。
(これも、この年から拷問用としては使わなくなったということ。)


「ガロット」の起源は、次に述べる「絞柱」と呼ばれる器具だと思われる。

ハンガリーや、ファシスト体制化のオーストリア、イタリア、また日本でも「絞柱」と呼ばれる「絞殺刑」が行われていた。
それは、刑架のない「絞殺刑」で、受刑者は立ったまま柱に首をくくりつけられるのである。
地面に立てられた柱に、目隠しをされ手を前で縛られスツールの上に立たされた受刑者がの首が鋼で縛り付けられる。
刑吏の合図で助手たちがスツールをはずし、受刑者の足にぶら下る。(重りをつける場合、何も付けない場合もあった。)
首がひどく伸び、頭は横に大きく傾き、口からだらりと舌が出た受刑者の死亡を医者が確認する。
が、確実性が低く、死んだはずの人間が息を吹きかえすことも多かったともいう。
西洋-絞柱
1893年、オーストリアで重犯罪者「エーミール・ブルンナー」に対する絞殺刑が、クレムス刑務所の中庭で、百名を超える見物人の前で行われた。
絞殺の手順は、罪人の首にかけた輪縄を死刑執行吏が引っ張り、助手が気道を両手で締め上げるというものだった。
処刑には5分を要し、医師によって罪人の死亡が確認されたのはさらにその2分後だった。

オスマン・トルコの宮廷には口の聞けない宦官が何人もいたが、彼らは「絹の紐」を携帯していて、王族や高級官僚らを粛清のため絞殺する使命を帯びていた。
絞首刑(絞り首)11
絞殺する場合は、相手を身動きできない状態にしてから行うのが基本らしいです。
相手も動ける状態では、反撃を食らったりするので、素人には難しいらしい。<ほんとかね?(^_^;)
また「1492 コロンブス」(なかなか猟奇的な場面満載ですこの作品)という映画で、罪人を木に縛り付けて、首を締め上げていく処刑をリアルに描いていました。<「絞柱」ですね。

「絞首刑(絞り首)」の項はこれで終わりです。
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