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解体刑 |
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肢体細断の刑罰で、凌遅処死、か(咼へんに利の右側-切り殺し)、臠割(れんかつ-切り刻み)、寸磔(すんたく-八つ裂き)と言う表現からも連想されるように、人体を八塊におろす刑であり、生きたまま受刑者の肢体を、時間をかけ、ゆっくりと肉を取り去り、骨を残しながら殺す惨刑である。 ただ、いつの時代(現代でも)も、学者、医師たちは、死刑囚を(あるいは死刑囚の死体を)「解剖」という名の解体、また生体実験に利用してきた。 死刑囚(捕虜)を実験材料に使うことは、人権を著しく侵害する、民族浄化に利用されるなどの問題があったが、これが医学の進歩に対して大きな貢献をしてきたことは確かである。 「中国」 解体刑の名手は中国人であるといわれている。 彼らはこの刑罰を芸術の域にまで高め、その手順を細部にまでわたって法典化し、多くの観衆の前でその妙技を惜しげもなく披露した。(実際19世紀まで行われていて、ヨーロッパ人によるレポートも多く残されている) いわゆる「凌遅」といわれる、解体刑である。 「凌遅(りょうち)」と呼ばれるこの刑罰は五代時代(907〜)の頃より私刑として始められたと言われ、宋、遼、明、清へと伝えられ、遼時代(916〜1125年)に入ってから、正規の刑罰に加えられ、明時代(1368〜1644年)には、公開刑として定められた。 「凌遅」の俗称は「か」(意味は「細かく削り取る、ずたずたに切刻む」)と言う。 中国清朝の凌遅処刑図 |
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3357刀の手数を経て執行されるともいわれ、明清朝では謀反大逆、親殺しに対する刑罰として、用いられている。 | |||
解体刑1「死刑囚を「解剖」という名の解体、また生体実験に利用してきた。」というのは現代の中国でも行われていると言うことで、結構問題になっています。<まあ、最近のは臓器売買(ビジネス)が目的のようですが(苦笑)表示できない漢字については、ひらがなで表記してあります。 また、斬首、のこ引きは特別な性格を持つ刑なので、別章を設けています。 「解体」(一定の順序に従って肉を切り離す)と「切断」(四股を切り離す)は区別してあります。 「解体刑2」へ続きます。 |
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