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火刑

火刑の方法は、時代や国によって異なり、火刑台は主に二つの方法に従って組みたてられていた。

犠牲者の体が露出するタイプ
薪や柴の束を敷き詰めたところに柱を立て、それに受刑者を縛り付け、その周囲には、膝か腰の高さまで、棘のある木の束がつみ上げられた。
観衆は、空まで舞いあがる炎を通して受刑者が焼けるのを見ることが出来た。
犠牲者の体が露出するタイプ
主にスペインで好まれたが、ドイツ、スイス、イギリスでも採用されていた。
この方式ならば、薪を敷き詰める範囲を広げ、その上に立てる柱の数を増やせば、集団火刑を行うことも可能であった。
しかしこの方式では、火勢が弱かったり、強風で火や煙が流されたりすれば、犠牲者が苦しみから解放されるまでにときには3時間を要することもあった。
この場合は、死刑執行吏が薪などで殴り殺さねばならなかった。

犠牲者の体を覆い隠すタイプ
主にフランスで好まれたが、イギリス、イタリアでも採用されていた。
薪の束で囚人をすっぽり覆うというものである。
地面に(あるいは敷き詰められた薪の上に)柱が立てられ、その周りに囚人を通す空間だけ開けて、薪とわらを何層にも敷き詰めた。
受刑者は服を脱がされて硫黄を塗ったシャツを着せられ、柱にくくりつけられる。
その後空いている場所を薪で覆い、受刑者が完全に覆われたところで四方から火を放った。
受刑者は、火に焼かれる前に煙で窒息または、一酸化炭素中毒で死ぬことになる。

いずれの場合も、風向きによっては「火」が犠牲者の体に当たらなかったり、火勢が弱かったりして、焼死に至らなぬケースがあるため、火勢を強めるための「ふいご」を用いたり、木材に油を塗ったり(かけたり)、受刑者に硫黄を塗ったシャツを着せたりするような工夫が用いられていた。
火刑7
「火刑8」へ続きます。
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