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熱湯刑

西洋

「アラビアンナイト」(千夜一夜物語)に、油による煮殺しが描かれていることからも解るように、古くからこうした私刑、刑罰の習慣があったと思われる。
僧侶が煮殺される様子が、中世の絵画に多く残っているように、異教徒に対する刑罰として熱湯刑が多く用いられてきたことが伺われる。
フランスのサン・マルタン運河のそばに、釜茹の竈(かまど)が17世紀の初め頃まで残っていたと伝えられている。


13世紀から16世紀のフランスやドイツでは、贋金作りにたいして、この刑罰が適用された。
当時のドイツの法典によれば、「贋金作りが現行犯で捕らえられた場合、その者は深さ57センチの鍋ないし大釜で煮沸に処す。」と規定された。
具体的な刑の執行方法は、まず死刑囚は大釜の輪(持ち手)と輪の間に渡された棒に縛り付けられ、さらに両側に垂直に立てられた柱にしっかりと紐で固定された後、油およびワインで煮られる事になった。
大釜で煮沸
ほかに、水やワインの代わりに油や樹脂を使用する国もあった。
犠牲者も沸騰している液体にただ沈められるだけではなく、「手足を縛った罪人を首まで浸した状態で、液体を徐々に沸騰させていく」「両膝を胸に縛り付けた状態で沸騰した液体の入った大釜に沈められる」など様々であった。
熱湯刑2
「熱湯刑3」へ続きます。
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