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水刑

投水刑、溺死刑、袋の刑、水漬け、臥漬け、簀巻き、などと呼称される死刑である。

水による処刑は、間違いなく宗教的な信仰と迷信に基づくものと思われ、大多数の原始文明、アフリカ大陸で広く用いられてきた。
また、古くから流れる水には浄化の作用があると信じられていたので、罪人によって乱されて秩序を静めるために、水による処刑が行われた。
また、ヨーロッパにおいては、謀殺犯人には墓を与えないという思想が基礎になっているという説もある。


中国

古代北魏律によれば、大武帝の治世において(431年)「巫蟲」という刑が見られる。
これは殺した羊を背負わせたうえで、犬を抱かせて淵に沈める刑である。

安南時代には今のベトナムにおいて、「菰(こも、藁わらで荒く織ったむしろ、古くはマコモで織った)流し刑」が習慣として行われていたという。
姦夫姦婦をお互いに向き合わせて菰に縛り付け川に流す。
このとき、犠牲者を助けたものも処刑されると定められていた。


日本

中世においては細竹を蓑の子状に編み、あるいは俵、薦(こも)をもって縛った罪人(主に誣告の女性など)をくるみ、川や海に投水する「臥漬け」が見られる。

近世(江戸時代)では北関東のいかさまを行った博徒、関西、中部地方での密漁、漁場荒らしの男性に「簀巻き」と呼ぶ私刑が見られる。
簀巻き
切支丹弾圧の処刑にも「水刑」は用いられている。
元和9年(1623)仙台「広瀬川」で行われた「水漬け」の情況は、水籠として川底に深さ40センチ、直径200センチの穴を掘り、その穴にたてた杭に犠牲者を縛り付け、冷たい川の中において晒し者にした。
最後には、逆さづりで水漬けの刑(実際には凍死刑)にされた。
水刑1
「水刑2」へ続きます。
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