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断首刑(剣、斧)

斬刑、斬首、刎刑、断首、断頭、切断刑などと呼ばれる死刑である。
「斬首刑」は青銅器時代以後、武器の出現に伴って出現したとさえ断言してよいのかもしれない。
他の処刑方法の多様性と残酷さとに比較して、「斬首刑」は「単純な刑罰」と見なされてきた。


断首刑の原理
「首を胴体から切り離し生体活動を停止させる」ことにある。
具体的には、斬首は延髄と同位置か、やや下方で脊髄を切断することにより死をもたらす。
19世紀末の首切り実験によれば、延髄や呼吸中枢の位置で斬首すれば、死者はほとんど沈んだ無表情な顔となる。
斬首する位置が上記の場所からずれると、頭部切断の結果生じる出血と窒息により死に至ることになり、死者は苦痛、苦悶の表情で死んでいくことになる。
斬首された死者が、見せる様々な動きに関しては、延髄の中枢に起因する反射行動であり、感覚能力が存続しているためではないと言われている。


中国

中国での死刑は公開での斬首を主としていた。また私刑にも多用されていた。
「斬」と呼ばれているが、漢時代では、刀で斬首する場合「殺」、腰をまさかりで切断する場合を「斬」と分けていたようである。

ほとんどの国では、剣による斬首刑は名誉ある特権的な処刑方法と見なされているが、中国では全く反対の考え方がとられている。
それは、中国人が体を切れ切れに分かつと言うことを非常に嫌うからである。
その感情は日本人には想像できないほど強く、中国において罪人が首を切られたり、戦で首を無くするようなことがあると、その遺体を埋めるときには、藁などで仮の首を作るという。
「身体髪膚、これを父母に授く。殺傷するを得ず。」つまり、髪の一筋、皮膚の一片にいたるまで、父母からの授かりものであるから、これを傷つけたり壊したりしてはならない、というのが伝統的な儒教観念である。
したがって、頭が胴体から離れる「斬」を受けることは、死亡しても頭が胴体とつながっている絞首刑に比べて恥だと考えたのである。
よって、中国では絞首刑よりも斬首刑の方が重い刑とされていた。

オリエントやアジア、特にインド、中国、ペルシアでの「斬首刑」では、単に首を切断するだけではなく、苦しみを与えるような方法で執行した。
わざと刃こぼれさせた剣でずたずたに傷を付けたり、わざと首を半分まで切断したりするのである。

道具
手斧により首を刎ねることから斧鉞(ふえつ)という用語があることから解るように、古来、なた状の斧で首を刎ねていたが、時代が下がると、なぎなた状に湾曲した幅広い刀身を持ち、柄に青竜の飾りがあり太く重い刀、いわゆる青竜刀で行うようになっていく。

手順
犠牲者はひざまずいて、顔を地面に向けるので、首が地面に対して水平から45度の状態になる。
両手は後ろ手に縛られ、後ろに立つ死刑執行吏の助手がそれをつかんで押さえている。
罪人の抵抗が激しい場合は、弁髪を利用して位置を固定する場合もある。
死刑執行吏は、罪人に向かって青竜刀を垂直(または斜め下)に振り下ろす。
断首刑(青竜刀)
断首刑(剣、斧)1
「断首刑(剣、斧)2」へ続きます。
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