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絞首刑(吊し首)

正式な処刑として行われる「絞首刑」は普通「絞首台」を用いて執行される。
絞首台は、国や民族によって多少の違いが見られるが、1本の直立した柱と、その先端につけられた縄をかけるための横棒とからなる。
集団処刑を行う場合は、二本の柱に長い横木を渡して縄をかける。
上記以外の絞首台としては、トルコで用いられた3本の棒の先端をピラミッド状に合わせたもの、などが見られる。
古くから執行場所は特定されることが多く、街(城塞都市)の広場や、の郊外の丘の上で公開して行われた。
ドイツ中世では、絞首台の丘(ニュルンベルク城壁外のガルゲンヒューゲル)などが有名である。


中国
斬刑・絞刑ともともに棄市といわれる公衆刑・公開刑で執行されている。
また、唐時代には7種類以上の絞刑が見られ、皇族、婦女には斬刑は適用されず、隠所において絞刑とされている。


日本
中世に入り、「松隣夜話」「甲陽軍艦」などに、反逆者、捕虜を縛り首にした記録が見られる。
近世では幕府法「公事方御定書」に絞首刑の規定がなく執行された記録はないが、明治5年(1972)の監獄則図式(イギリス植民地(香港・シンガポール)の行刑制度にならったもの。)により絞首刑が復活、現代に至っている。


西洋
イギリスでは常設絞首刑場としてロンドン郊外のタイバーン刑場が有名であった。
「三本柱」といえば、この刑場の絞首柱を指した。(1758年6月18日から10月3日の間に撤去)

中世以来ヨーロッパでは死刑に際し、、平民、下層民には「絞首刑」が適用されていたのに対し、貴族には「斬首刑」が「認められて」いた。
フランスの古いことわざに「貴族には斧、百姓には縄」があるが、それほど「絞首刑」は不名誉なものとされていた。
貴族の名誉を傷つけたいときは、その地位や生まれに見合った方法で処刑した後、死体をつり下げた。

「絞首刑」受刑者の死体は腐敗するまで絞首台からはずされなかった。
そのため一種のさらし台と言える「2本の柱(鍬)に横木を渡した絞首台」が生まれた。
この「鍬の絞首台」は領主の裁判権を示すものであり、見せしめのために利用するため、人通りの多い道ばたや、高台に常設されていた。
パリのモンフォーコンにあった王の「鍬の絞首台」は、縦9.15メートル、横12.2メートルの石造りの土台の3辺に高さ10メートルの四角い石柱が16本並び、その上部に渡した横木に死体をかけるための鉄の鎖がついていた。
柱の中程、5メートルのあたりにも横木が渡してあり、ここにも死体が吊されていた。
土台の中央には巨大な穴があいており、横木に場所を空けなければならないときには、腐った遺骸をそこに投げ込んだ。

このように「絞首刑」をより不名誉な物にするため、また、領主の権威を見せるために、絞首台はだんだん高くなっていった。
しかし、地上10メートルにも及ぶ絞首台の上に受刑者をどのように上げたのであろうか?
死刑執行手順は次の通りである。<吊り下げの場合
1,絞首台に立てかけた梯子を刑吏が先に後ろ向きに登る。
2,上りながら受刑者の首にかけた縄を引っ張り、受刑者を引き寄せ、梯子を登らせる。
3,先に上についた刑吏は首締め縄を絞首台の横木に結びつけ、膝蹴りで受刑者を梯子からはずす。
4,刑吏は横木にしがみつきながら、受刑者の体に足をかけ、幾度も揺らす。
5,完全に息の根が止まったことを確かめると処刑は終わる。
西洋-地上10メートルの絞首台
この、受刑者を引き上げる作業用に3本足の梯子が考案されたという。
また、滑車を利用して、直接受刑者を引き上げたり、ゴンドラでの乗せて引き上げるということもあった。
絞首刑(吊し首)2
「絞首刑(吊し首)3」へ続きます。
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