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車輪刑

車輪轢き(Breaking with the Wheel)、車輪上の粉砕刑、生きたままの骨抜き刑(股・膝・腕・背骨の順と定まっている)ともいわれる死刑である。

車輪刑とは、体を車輪に縛り付けられ生きながらにして四股を打砕かれる、という公開で行われる死刑である。
主に、フランス、ドイツ語圏のヨーロッパ各地で、16世紀から18世紀初頭まで行われていた、西洋独特の刑、男性のみを対象とした死刑である。


中国
この刑に類した刑罰は見あたらない。


日本
この刑に類した刑罰は見あたらない。


西洋

1532年にカール5世が神聖ローマ帝国に、この刑罰を導入した。
結果「車輪刑」は、ドイツ地方でもっとも頻繁に宣告される刑罰のひとつになった。
フランツという刑吏の日記によると、1573年から1617年までの在職期間中に361人を処刑したうち、そのうち200人ほどが「車輪刑」によって処刑された。
その後、ハプスブルク帝国で「車輪刑」が廃止されるのは、1781年のことである。

1534年にフランソワ1世がフランスに、この刑罰を導入した。
ドイツから輸入されたこの刑罰は、1789年フランス大革命直前まで続けられた。


なぜ「車輪」なのであろうか?
西洋世界では古くから車輪が天空を回る太陽を表していた。
よって、「車輪刑」の原型は、いけにえ(受刑者)を車輪の上に置き、太陽に向って晒すという太陽神に対する祭祀であったと思われる。
そして、骨を砕くのは、死者の体(魂が帰る場所を)を再生不能にし、よみがえることを阻止するという意味があったという。
よって、16世紀ごろより、囚人は地面に置かれた「聖アンデレの十字架」の上で打砕かれ、車輪は苦しむ囚人を縛り付けて晒すために使われるに過ぎなくなった後も、この種の死刑には「車輪刑」という名前が使われ続けた。
車輪刑の形態1
「車輪刑」には地域や時代によって形態に違いがある。
1、受刑者を裸にし、手足を広げた形で、固定する。
2、刑吏は、受刑者の体を殴打し、手足の骨、関節を粉砕する。
3、受刑者を車輪に固定し、その車輪ごと、地面に突き立てられた杭の先端に水平な形に置き、高く掲げ晒す。
以上のような基本的な執行順序は、ほぼ同じであるが、細部に違いが見られる。
車輪刑1
「車輪刑2」へ続きます。
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