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解体刑

凌遅には、やり方により、れん割(切刻み)、か割(切り殺し)、寸磔(やつざき)などの種類があり、量刑によって執刀回数に、8刀、24刀、36刀、72刀、120刀、と言う区別があった。

ここでは、24刀のか割方法を紹介する。
1,2刀で両方の眉を削り取る。
3,4刀で両肩の肉を削り取る。
5,6刀で左右の乳房を切除する。
7,8刀で両手首と両肘の間の肉を削ぎ落とす。
9,10刀で両肘と肩の間の肉を削ぎ落とす。
11,12刀で両腿の肉を削り取る。
13,14刀でふくらはぎを削る。
15刀で心臓を突刺す。
16刀で脳を取りだす。
17,18刀で両手首切断。
19,20刀で両腕切断。
21,22刀で両足切断。
23,24刀で両足を切断する。

中国清朝末期の凌遅処刑図
中国清朝末期の凌遅処刑図
時と場合によっては、120刀どころか、さらに「細切れ」にする。
最後には、受刑者に投網をかけてきつく縛り、網の目から盛りあがった肉の部分を、削り取っていく。
これを「魚鱗砕割」(うろこそぎ)という。

この凌遅においても、汚職社会の中国では、袖の下しだいで苦痛の度合も変るのは言うまでもない。
執行人を買収すれば、第1刀から心臓を突いてくれるのである。


日本

該当する刑罰は見あたらない。
解体刑3
「おまけのコラム」-西洋人の見た「凌遅」

19世紀末の北京フランス公使館に勤めていた、マティニョン博士によるレポート
「血みどろの肉の切れ端が、そのために用意された柳の籠に摘み上げられていった。」
1926年ドイツの犯罪学者ロベルト・ハインドルによる広東における凌遅の観察記
「見物人は、おしゃべりしたり、タバコをふかしたり、果物を食べたりしていた。」


凌遅って、70年程前まで、実際に公開で行われていたんですねー、恐るべし中国人。
実際の凌遅執行の写真が何枚か残ってますが、まわりの見物人が興味津々で観ているのがなんとも…。
カラーじゃなくてよかったような、残念のような。(^^ゞ


「解体刑4」へ続きます。
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